「車輪の下で」(ヘッセ)

では、どうすればハンスを救うことができたのか?

「車輪の下で」(ヘッセ/松永美穂訳)
 光文社古典新訳文庫

周囲の期待を一身に背負い、
神学校に優秀な成績で
合格したハンス。
しかし彼は
同級生とふれあううち、
自分の生き方に疑問を感じる。
やがて厳しい学校生活に
なじめなくなった彼は、
故郷で機械工として
新たな人生を始めるが…。

裏表紙のあらすじを引用しなくても、
日本人の多くが知っている、
少年の悲劇です。
巻末の解説には、日本では本書が
ドイツの10倍もよく読まれている、
という逸話が紹介されていました。
私も、小学校6年生のときに読んで以来、
何度読み返したかわかりません。

大人になり、教員となり、親となって、
主人公ハンスの気持ちを理解できるし
共感もできます。
しかし、大きな疑問が残るのです。
では、どうすればハンスを
救うことができたのか?

神学校ではなく、ギムナジウムに進み、
手に職をつけさせていれば
悲劇を回避できたのか?
多分、できなかったでしょう。
痩せて青白い顔色のひ弱な少年です。
機械工としての仕事に
一日で音を上げているくらいです。
そもそもそうした職業に進む
同級生たちを蔑んでいたのです。
彼のプライドがそれを
許さなかったのではないでしょうか。

人にはいろいろな生きる道があると、
多様な価値観を提示していれば
こんなことにはならなかったのか?
それも難しかったでしょう。
靴屋の親方フライクが
あれだけ忠告しているのに、
彼はそれを煙たがっていました。

周囲が過度な期待を
しなければよかったのか?
せまい田舎町で飛び抜けた才能を
発揮してしまったのですから、
期待を集めてしまうのは
無理からぬことだと思うのです。

靴屋の親方はハンスの葬儀の際、父親に
「あそこに行く紳士方も
 ハンスが破滅するのに
 手を貸したんですよ」

とささやきます。
誰が「悪い」のかを
指摘することは簡単です。
では、どうすればハンスを
救うことができたのか?
作者ヘッセは示していません。

現代日本にも、やはりハンスは
少なからず存在します。
一人一人の個性を尊重するのも、
一人一人に寄り添うことも、
現代では当然のことです。
しかし、「破滅型」の子どもを
「破滅」する前に救出する手立てには
難しいものがあります。

本作品の出版は1906年。
110年前の異国の作品が
投げかける問題は、
これからも考え続けていかなければ
ならないものだと思っています。

※高橋健二訳新潮文庫版も
 昔からのおなじみです。

(2019.11.21)

Peter HによるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA